一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2016/04/01 No.273対外関係修復に精力、アルゼンチンのマクリ新政権―南米南部に“新風”を―

堀坂浩太郎
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
上智大学 名誉教授

オバマ米大統領が3月下旬、アルゼンチンを訪問し、昨年12月10日に就任したばかりの同国のマウリシオ・マクリ大統領と首脳会談に臨み、2日目には保養地バリロチェで家族を交えて水入らずの交歓を行った。わが国では、その直前のオバマ大統領によるキューバ訪問が時代を画す歴史的な出来事として大々的に報じられた。これに比べ、歴訪後半のアルゼンチンについては、日本メディアの報道はごくわずかに留まったが、「歴史を画す」点でも、また「民主外交」の観点からも、オバマ大統領が政権終盤のレガシー(遺産)外交の一環にアルゼンチンを加えた意味は大きい。マクリ大統領は、就任100日の“ハネムーン”期間を対外関係の成果で飾り、南米南部地域に“新風”を吹き込んだ格好である。

両国首脳会談の意義を何よりも象徴しているのが、訪問の時期そのものである。40年前の1976年、アルゼンチンで軍事クーデターが勃発(3月24日)し、7年9か月に及んだ軍政開始の時期に当たる。当時の南米は、「軍政の時代」と言ってもよいほど、軍部による強権政治が支配的な時代であった。その中でもアルゼンチンは政治活動を全面禁止し、弾圧によって3万人とも言われる死者・行方不明者を出した。さらに軍政下の82年4月~6月、南大西洋の諸島フォークランド(スペイン語名マルビナス)の領有権をめぐり、冬将軍の中で英軍と死闘を繰り広げ、多数の戦死者を出した。

オバマ大統領が、ラプラタ川に臨む軍政犠牲者の慰霊碑に献花するとともに、首脳会談で米国保有の軍政当時の情報をアルゼンチン側に追加提供することを約束したのも、「二度とふたたび」(同「ヌンカ・マス」)との思いが強いアルゼンチン国民の気持ちに応えてのことといえる。体制こそ異なるが、オバマ大統領にとっては、米フロリダから100キロのキューバと南米最南端のアルゼンチンを同時に訪問することで、米州地域における共通の価値観として、民主主義の重要性を改めて地域に向け発信する意義をこめた歴訪であったとみることができる。

アルゼンチンは1983年12月に民政復帰するが、その後は、デフォルト(債務不履行)に追い込まれた99年~2003年を挟んで、労働組合をバックに1945年に創設された最大の政治勢力であるペロン党(正式名称は「正義党」)が、メネム(1989年~99年)、ネストル・キルチネル(03年~07年)、同夫人のクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(07年~15年)大統領によって計24年間政権を担い、対米関係は冷却の度を強めた。特に2005年11月、ブッシュ大統領(息子)を迎え同国のマルデラプラタ市で開催された米州首脳会談において、米提案の米州自由貿易圏(FTAA)構想を事実上葬りさったことや、資金援助を当てに反米のチャベス・ベネズエラ政権との関係緊密化に動いたことで、閉鎖的、民族主義的、反市場主義的との印象を内外に強く与えてきた。

そうしたアルゼンチン観を一変させたのがマクリ政権の登場であり、就任後時を置かず訪問したところに、オバマ大統領の外交的意図が読み取れる。政治・経済ともに大混乱に陥っているブラジルをはじめ、南米南部諸国に“新風”を感じさせる演出ともなった。この点はさる3月、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの3か国を訪れたおり筆者が強く受けた印象でもある。

このように好調な滑り出しをみせたかに見えるマクリ政権だが、その置かれた状況は、決して安泰ではない。昨年11月の大統領選挙は、キルチネル政権の後継候補との間で決選投票に持ち込まれ、しかも2.7%の僅差での勝利であった。政治的潮流を変えようと「カンビエモス(変革しよう)」と銘打ったマクリ支持の政党連合が国会で占める議席数は、下院で35%、上院で21%に過ぎない。ペロン党は、前政権を離反した分派を含めると、下院で60%、上院では72%の議席をもつ依然として最大勢力であることには変わりがない。

しかも経済の実態は、前政権によって数値が操作されていたとの疑惑がある中で、民間の調査機関FIELの数値を参照すれば、2015年末で実質成長率は1%、インフレは27%、失業率6.5%、経常収支の赤字124億ドルに上る厳しい状況にある。財政立て直しのためには、国民の支持取り付けのため極端に低く抑えられてきた電力・ガスや公共交通機関の料金引き上げ、バラマキ的となってきた社会福祉プログラムの修正が待ったなしの状態にある。国際的な信用を回復するためには、前政権が拒否してきたIMF(国際通貨基金)による同国経済の診断(第4条協議)を復活させることも急務となっている。

新政権を取り巻く極めて厳しい環境の中で、マクリ大統領は手の付けやすい、そして即効性が期待される外交・対外関係に、まず意図的に率先して取り組んできたのが就任100日の姿だったといえそうだ。しかもビジネス界の出身(2007年以降はブエノスアイレス市長)、名門サッカーチーム「ボカ・ジュニアーズ」の会長といった経歴がなせる技か、極めてスピード感のある対応であった。

就任20日間で、割高に操作されていた為替の自由化、主要輸出品に課せられていた穀物等の輸出税緩和・撤廃、同輸出許可制の廃止、自動車等奢侈品の減税による市場開放など自由化策を矢継ぎ早に打ち出し、即実行に移した。これによって同国の通貨ペソは直前の公定レート1ドル=9.83ペソから13.85ペソに3割下落したが、本稿執筆の3月時点では15ペソ近辺でほぼ落ち着いている。

これらの措置と並行するかのように対外発信を活発化させた。とりわけ周辺国の関係修復に動くと同時に、地域経済圏としては“死に体”状態に陥っていたメルコスル(南米南部共同市場)の再生作業に動き出した点が注目される。大統領就任前にブラジリアとサンチアゴに飛び、前者ではルセフ・ブラジル大統領と、後者ではチリのバチェレおよび同国を訪問中のウルグアイのタバレ・バスケス大統領と会談している。就任後の12月12日には隣国パラグアイのアスンシオンで開催されたメルコスル首脳会議に臨み、1月7日にはウルグアイの首都モンテビデオを訪れ、第1回ウルグアイ大会から1世紀となるサッカー・ワールドカップ2030年大会の共同開催を持ちかけた。

こうした一連の動きが、マクリ政権の登場で「メルコスルや南米大陸全体のビジョンを変え、これまでの介入主義的な政府の時代に終止符をうち、自由で近代的、活気のある経済サイクルのスタートを切ることができるのでは」といったサンパウロ工業連盟のスカフ会長の発言(Latin American Weekly Report, 2016年1月7日)に代表される期待感を生んでいる。チリとの間では、エネルギー不足に陥っているアルゼンチンに余剰ガスを供給する話が一気に具体化した。もともと両国間には、アルゼンチンからチリへ天然ガスを供給するためアンデス越えのパイプライン網が張り巡らされていたが、キルチネル政権下の関係悪化で使用中止となっていたのを復活し、今度は逆に流そうとの試みだ。

先進国とは、1月にスイスで開催された世界経済フォーラム(ダボス会議)がお披露目の場となり、英国のキャメロン、カナダのトルドー首相らと会談、さらにその後オバマ大統領に先駆け、2月にはレンツィ伊首相とオランド仏大統領が相次いで訪問した。3月には、EU(欧州共同体)の外相に相当するモゲリーニ外交安全保障上級代表がブエノスアイレスを訪問しており、EU=メルコスル間の通商交渉復活の観点からその動静が注視された。日本との関係では、3月初旬、トヨタ自動車の現地工場サラテの拡張式典に大統領が自ら出向き、経済関係強化への期待を述べるとともに、ワシントンで開催予定の核セキュリティ・サミットにおける安倍首相との会談や、11月にペルーで予定されているAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の機会を使った首相招待の意向を表明した。

国際金融調達を困難にしていた「ホールドアウト」問題でも、解決の目途が出てきた。デフォルト処理の過程で債権の減額に応じなかった債権者(ホールドアウト)との交渉が2月末に大筋決着し、これを処理するための国内関連法および総額120億ドルに上る国際調達を認める政府案がペロン党の一部国会議員の賛同も取り付け3月末日までに上下両院を通過した。マクリ大統領の内政の掌握力を測るリトマス試験紙的な意味合いをもって観測されてきた事案である。

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