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2004/04/07 No.61岐阜県の食料安全保障に貢献する南米農業

内多允
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
名古屋文理大学 教授

 日本各地でさまざまな形態の国際交流が行われている。近年は各地域で地方分権が叫ばれ地域の独自性への評価が高まっている。また、地域の発展策についても中央依存型から、地域が自主的に考えて実行することが求められている。ここで紹介する岐阜県の食料安全保障政策は、南米の農業との連携を取り入れているという点で、全国で他に例を見ない特色を持っている。

全国初の食糧確保計画」

  日本の食料自給率 (農林水産省データによるカロリーベース) は1965年度の73% から、75年度には54%に低下後は横這い基調を維持したが、85年度以降再び低下傾向をたどるようになり98年度には40%になった。この間に記録的な米が不作であった93年度には37%という一時的であるとは言え、40%を下回ることもあった。98年度以降は、40%を維持している。この自給率は主要な先進国の中では、最低の水準である(表1)。食料の中でも日本の穀物自給率はさらに低くなる。農林水産省の試算によれば(出所は表1と同じ)、世界173の国・地域の中で穀物自給率(2001年)の日本の28%は130番目であり、OECD加盟30か国の中では28番目という低さであり、人口1億人以上の国の中では最下位を記録している (表2) 。

表1 主要先進国の食料自給率(カロリーベース)(2001年)

日本 40% ( 40% )アメリカ 122% ( 125% )
英国 61% ( 74% )フランス 121% ( 132% )
ドイツ 99% ( 96% )オーストラリア 265% ( 280% )
(注)( )内は2000年のデータ。
(出所)農林水産省『我が国の食料自給率』
-平成14年度食料自給率レポートー、平成15年12月

表2 人口1億人以上の主な国の穀物自給率(2001年)

中国95%(12.9)ブラジル87%( 1.7)
インド107%(10.3)ロシア106%( 1.4)
アメリカ127%( 2.9)日本28%( 1.3)
(注)( )内の数字は単位億人による人口。
(出所) 表 1と同じ。

 このように日本の食料自給率が低いと、地方自治体も食料不足の事態に備えた独自の食料安全保障政策が必要になっている。岐阜県はその対応策として1999年3月、「岐阜県民食料確保計画」を策定した。同県はこれを策定した理由として、食料生産や消費構造は地域によって異なっていることから、地域の食料事情を知っている県が、自らの課題として食料問題を考えることが必要であると指摘している。岐阜県内の食料自給率は2002年度は40%であった。2004年度から実施される「第2次岐阜県民食料確保計画」(3か年計画)では最終年度(06年度)の食料自給率を45%に引き上げることを目指している。さらにこれを13年度末には50%に引き上げようとしている。同計画の基本目標には「平常時の健康食料の確保」と「緊急時の最低食料の確保」を掲げている。安定的な食料供給を維持するために、食料供給供給ルートの多元化に取り組んでいる。既に不作や災害に備えて全農岐阜県本部(農協JAの経済部門)とは玄米(870トン)の備蓄・供給協定を結び、県内で農地転用可能な土地のデータベースを整備している。全農と契約した前記の玄米は県内33か所の低温倉庫で保管され、災害時には知事の指示で出庫される手筈になっている。ちなみに870トンという数字は最大約44万人の被災者に3日間配給する事を想定している。同時に県内や国内での食料確保が困難な状況も想定して、海外からの供給源を確保すべく南米の農産物確保に努めている。今の制度では、災害に備える自治体の食料備蓄は、自主的な判断に委ねられている。

民間が主役の南米農業との提携」

  岐阜県の食料計画の特色である南米との提携については、民間企業が事業主体となっていることもユニークである。株式会社ギアリンクスが民間企業でありながら、岐阜県の食料政策の一翼を担っている。社名は岐阜県の「ギ」とアルゼンチンの「ア」、それに両者の連携を意味する「リンクス」から命名された。ギアリンクスは2000年12月に岐阜県美濃加茂市で、発足した。同社の資本金(04年2月現在)は7,550万円で出資者は334名に上っている。その経営方針は純粋の民間企業でありながら公共性の高いNPO(非営利組織)の精神でアルゼンチンで農場を経営して食料を確保する事である。
 
 ギアリンクスは2003年にアルゼンチンで3か所の農場を取得した。その合計面積は1,247ヘクタールである。これは岐阜県の農耕地面積(6万ヘクタール)の2%に相当する。同社が発足した頃の為替レートはアルゼンチン・ペソとドルは等価であったが、農場を取得する時の対ドルレートは2ペソ台に下落しており、同社にとって有利な価格条件で取得していることになる。これらの農場のなかには取得前から大豆や大根の栽培に着手している所もある。生産活動と並んで近隣の日系農家との交流も既に始まっている。農場では有機栽培による大豆や小麦等の安全な農産物の生産を行うことにしている。また、現地農家に生産を委託して、雇用にも貢献する。県の計画ではアルゼンチンでの農業生産は異常気象などで1年程度の食料不足の事態が起きた場合に備えるためであると、位置付けられている。アルゼンチン農場の生産力は大豆で年間3,000トンから4,000トンと、見積もられている。アルゼンチンの位置は日本と逆に南半球に位置していることから、季節も逆の関係にある。従って、日本の不作が表面化してから作付けできる有利さも無視できない。アルゼンチンの農場が有機栽培による生産にこだわる理由は、県の食料計画に平常時における健康食料の確保を謳っているからである。

 ギアリンクスは03年10月24日、アルゼンチンの隣国であるパラグアイで、日系農業共同組合中央会と食糧供給協定書を取り交わした。この協定は日本が食糧危機に見舞われた時、ギアリンクスの要請があれば同中央会は大豆や穀物を日本に供給することを約束している。現地紙の報道(パラグアイの日本語紙『日系ジャーナル』03年10月28日号電子版)によれば、中田・ギアリンクス社長は「最初は1,000トン程度の輸入から始め徐々に増やしていきたい」と抱負を語っている。パラグアイも南米ではブラジルとアルゼンチンに次ぐ大豆生産国(02年の生産量は約327万トン)である。大豆をパラグアイの主要輸出産品に発展させたのは、日系農家である。現在も日系農協は同国の有力な大豆生産の担い手であることから、輸入依存度の高い日本としては心強い供給元であろう。

「もっと重視すべき経済安全保障のパートナーとしての南米」

  南米は現在の日本で最も重視されている経済安全保障のパートナーとして、考える人は恐らく少数派であろう。確かに経済の現状を考えると対外経済関係については重要なパートナーは米国であり、中国等の東アジア諸国である。しかし、安定的な経済安全保障を構築するためには、特定の国・地域への依存度が高すぎるリスクも回避する事も必要である。例えば石油の輸入先が中東地域に偏っていることによる日本の抱えている潜在的なリスクが大きいことは、改めて事細かに説明するまでもないだろう。農産物についても同様のことが言える。工業分野については輸出や企業進出の対象地域としては重要な東アジアも、日本への食料供給元としては期待できないだろう。野菜や果物の供給は期待できても、穀物のような基礎食糧については日本と同様に、輸入への依存度を高めている。特に中国の農産物やその他の一次産品の輸入需要は、世界の素材価格の水準を押し上げている。

 日本経済にとって重要な工業部門の海外におけるパートナーとの関係のみに目を奪われていると、経済安全保障政策に思いがけない落とし穴を見過ごしていることが懸念される。確かに南米は日本の貿易や直接投資の規模に占める地位は低い。しかし、食料の供給源としての南米の重要性にはもっと注目してよい。現に中国は食料を含む資源の確保のために従来は関係が疎遠であった中南米地域との経済取引を強化している。BSE(牛海綿状脳症)や鳥インフルエンザが世界の牛肉や鶏肉の供給を不安定にしている。これによって、世界各国は新たな供給源確保に迫られている。牛肉や鶏肉の供給についても南米への期待が大きくなっている。特に、ブラジルは農産物と並んで、食肉の供給国としての重要性が高まっている。

 農産物の供給源は現在の牛肉や鶏肉のように、思いがけない病気の多発によって伝統的な輸出産地への信頼度が低下することもあれば、国際情勢の変化によって供給が断たれる事も想定しなければならない。後者については輸出ではあるが、日本の農産物も経験している。北海道のハッカがその例である。ハッカは医薬品や化粧品、清涼飲料、歯磨き、加工食品の分野で必要な植物である。北海道の北見地域では明治時代から栽培されるようになった。同地域は戦前は世界中からハッカのバイヤーが買い付けに訪れた。ハッカの相場は北見で決まるといわれ、最盛期(1930年代)は世界のハッカ需要の70%を供給したと言われた。しかし、日米関係の悪化と太平洋戦争によって輸出が途絶えると、生産は急減した。日本からの輸出が途絶えると、ブラジルが生産国として進出した。戦後はさらに合成香料の開発も加わって日本のハッカは世界の輸出市場からは姿を消した。中南米諸国が米国にとって重要な一次産品供給源であることことも、第2次大戦中からのブラジルにおけるハッカ生産を拡大させた事は言うまでもない。

 農産物の輸出産地の変貌についても、北海道のハッカのような極端な事態は考えられないとしても世界の供給構造が変化していることに、注目する必要があろう。食肉と並んで、農産物についても当てはまる。例えば、近年は世界の大豆輸出市場でブラジルやアルゼンチンが、米国の地位を脅かしている。中国の旺盛な輸入意欲も、国際相場の変動要因として無視できない。農産物についても、南米諸国の中ではブラジルの生産力の向上が世界の輸入国からますます注目されている。気象の影響も受けやすい農産物については、日本と気象変化の周期が逆になる南半球との関係もリスク分散の観点から重要である。

 岐阜県の南米農業との関係強化は、日本の経済関係が特定地域・国に偏重することによるリスクを回避する観点からも評価できる政策と言えよう。特に人間の生命に係わる食料の海外への依存については経済的なコストと並んで、特定国への過剰な依存によるリスクを回避する国家戦略も求められる。

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