一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2005/05/18 No.78_3アジア・南米の絆を形成する移民ネットワーク(3/6)〜在日日系人とウチナーンチュ〜

内多允
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
名古屋文理大学 教授

世界にネットワークを張り巡らすウチナーンチュ

世界各地に移住したウチナーンチュ(沖縄県人)は30万人に上る(ちなみに沖縄県の人口は同県統計課の05年3月1日現在の推計によれば約136万人)。その主要な移住先はブラジルなどの南米地域に集中している(別表)。ウチナーンチュは世界各地で沖縄県人会を組織している。記録に残るウチナーンチュの海外への移民は、1899年(明治32年)のハワイへの移民(27人)から始まった。1904年にはメキシコ・エスペランサ炭坑に、202人が移住した。ブラジルへの移民は1908年にはじまった。太平洋戦争でウチナーンチュの海外への移民は途絶えたが、戦後初の呼び寄せ移民33人が1947年、アルゼンチンに渡航した。その後、南米各地へ移民が沖縄から旅立っていった。移民の中には沖縄を占領した米軍に土地を強制収用された宜野湾村伊佐浜の60人(10家族)が、ブラジルに移住したように敗戦国となった日本の状況から生まれた移民もあった。

(別表)世界のウチナーンチュ移住国(1995年現在の人数)

ブラジル128,400
アメリカ77,300
ペルー41,600
アルゼンチン33,600
ボリビア9,700
カナダ1,500
メキシコ650
その他7,250
合計300,000
(出所)琉球新報 web site: https://ryukyushimpo.jp/
(検索日:2005年2月23日)

ウチナーンチュの結束が固いことは、戦場となって荒廃した沖縄を救済する組織が海外で結成されたことにも表れている。例えば、沖縄での戦いが終わり日本の敗戦が決まった1945年にハワイで「沖縄衣類救済運動委員会」が結成された。さらに48年にはハワイで「沖縄救済更生会」が設立された。この年には同会は沖縄に豚500頭を贈った。その後、米州各地では同じような組織がロサンゼルス(46年)、ブラジル(47年)、ボリビア(49年)などで結成された。

沖縄が戦争の痛手を克服し、日本に復帰した後も海外のウチナーンチュが沖縄との固い絆を持ち続けている。また、海外各地のウチナーンチュの連携強化の気運も高まったことにより、90年に第1回「世界のウチナーンチュ大会」がハワイ・ホノルルで開催された。また、同大会は5年おきに開催される。これとは別に「世界のウチナーンチュ会議」が組織されその第1回が2003年9月にホノルルで開催された。次のウチナーンチュ大会は06年に沖縄で、ウチナーンチュ会議は08年にブラジルでそれぞれ開催する予定である。

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