一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2021/12/20 No.89米中のデジタル・デカップリングと日本の対応

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

中国の一帯一路構想の動きやCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)への加盟申請をきっかけに、米国はこれに対抗するためインド太平洋地域におけるデジタル貿易戦略を進めようとしている。

こうした米国の動きに対して、中国はシンガポール、ニュージーランド、チリが2020年に合意したDEPA (デジタル経済パートナーシップ協定)への加盟申請を行うという思いがけない戦略を繰り出した。米国はDEPAを参考にしたインド太平洋地域に新たな経済枠組みを推進しようとしており、米中のCPTPPやデジタル経済協定を巡る攻防が激しさを増している。

中国のプレゼンスが高いデジタル関連の財・サービスの輸出

ジェトロ作成のデジタル関連財の輸出統計を見てみると(注1)、その主な品目はコンピュータの周辺機器・部品、携帯電話などの通信機器、半導体用電子部品、半導体製造機器、映像・音声・計測・医療用機器、産業用ロボット、3Dプリンター、ドローンなどから構成されている。

2020年のデジタル関連財の世界輸出額は前年比4.3%増の3兆3,530億ドルであった。これは、ジェトロの世界輸出推計額の19.5%の水準に相当する。2020年のデジタル関連財の輸出額を国別にみると、1 位は中国で輸出全体の25.7%と約 4 分の1のシェアを占めた。2位はシェア7.3%の米国、次に台湾、韓国、ドイツと続き、日本は8位であった。

また、デジタル関連サービス貿易(通信・コンピュータ・情報サービス)においては、2018年の輸出額は前年比14.7%増の6,061億ドルとなっており、世界輸出推計額の3.2%の水準であった。国別では、アイルランドが1位で輸出全体の16.7%のシェアを占めた。2位はインド、3位中国、4位米国、5位ドイツで、日本は26位であった。

なお、電子商取引(eコマース)の動向であるが、2020年にUNCTADが集計した主要7か国(日本は入っていない)のオンラインでの小売売上高では、中国が首位の1兆4,143億ドルで7か国全体の56.7%のシェアを占めた。2位は米国(シェアは31.7%)、3位は英国(5.2%)、4位は韓国(4.2%)であった。

したがって、こうしたデジタル貿易関連の統計データからは、米国を上回る中国の存在感の大きさが明確に見て取ることができる。

DEPAを基にしたルール作りを提唱

米国のバイデン政権はトランプ前政権の流れを受け継いでおり、現時点ではTPPへの復帰にも消極的である。ジョー・バイデン大統領は2022年の中間選挙を控え、中西部のラストベルトの労働者の票を獲得するには、選挙前にCPTPPへの参加を検討することは困難である。アフガン等の問題も山積し、バイデン大統領の支持率は低迷する中で、貿易協定などへの対応はCPTPPなどのような議会で論議を引き起こすものではなく、国内産業調整の必要がない分野のものが優先される。

そうした中で、バイデン政権の中でインド太平洋地域での米国のプレゼンスを高める声が湧き起こり、突然表舞台に現れたのはデジタル貿易協定を軸にした同地域の新経済枠組み構想であった。

ブルームバーグは2021年7月、ホワイトハウスがインド太平洋地域での中国のプレゼンス拡大への対抗策として、同地域でのデジタル貿易協定を推進する案を検討していることを報じた。同協定は国境を越えたデータ利用、デジタル貿易の円滑化、電子商取引のルールなどを定める内容で、日本やオーストラリア、カナダ、チリ、マレーシア、ニュージーランド、シンガポールなどのCPTPP加盟国を含むものである。

米国の戦略国際問題研究所のマシユー・グッドマン上級副社長は、バイデン政権がインド太平洋地域のデジタル貿易協定を推進する理由として、TPPのような包括的な貿易協定と違い、交渉のやり方や手続きが簡単であることを指摘する。同地域のデジタル貿易協定には、TPP、新NAFTA(USMCA)、日米デジタル貿易協定、シンガポール・オーストラリアのデジタル貿易協定などがあるが、こうしたデジタル分野のルールは米国議会の正式な承認を必要としない。

しかしながら、デジタル貿易協定は、①その交渉に時間がかかる、②米議会は交渉内容に強い関心を持っている、③デジタル貿易はデジタル経済の一部分にすぎない、などの問題を抱えていると主張する。

グッドマン上級副社長はこうした問題を解決できるのはDEPAであるとし、バイデン政権にDEPAを基にしたルール作りを提唱した。DEPAはデジタル身分証明や電子請求書、フィンテック、AI(人工知能)の活用など、これまでの貿易協定がカバーしきれていない項目を含んでいる。

デジタル経済協定のルール形成の特徴

ジェトロの世界貿易投資報告2020年版(第Ⅳ章デジタル貿易(3)FTAにおけるデジタル関連のルール形成)によると、DEPAの特徴は電子商取引(EC)の拡大や技術革新に対応したルールを確立し、企業の投資を呼び込むために国境を越えたビッグデータの移管やAIなどの先端分野に関するルールを定めていることである。

例えば、DEPAはデジタル身分証明をルール化し登記や法人口座開設のハードルを軽減しており、同時に、電子請求書の規定で同じ国際基準の採用の促進によりコストを削減する規定を盛り込んでいる。企業が書類のやり取りに要するコストは貿易手続きにかかる費用の2割程度に達すると見込まれており、DEPAにおける税関申告などの手続きの電子化で貿易実務の時間とコストを節約することができる。

さらに、DEPAはデジタル貿易の円滑化のためUSMCAを超えるフィンテック(金融サービスと情報技術を結びつけたさまざまな革新的な動き)のルールも内包している。具体的には、金融機関と外部のシステムをつなぐAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の開放を進め、金融機関がシステムへの接続仕様を外部の事業者に公開し、金融機関以外の事業者も金融機関と連携して利便性の高い高度な金融サービスを展開しやすくなるルールを規定している。

これまでのFTAにはAIに特化した条項はなかったが、 DEPAはデジタルシステムへの信頼性向上とデジタル経済への参画機会の拡大のため、AIが分析したビッグデータを域内で円滑に移管できるようにするなど、ビジネス環境を整えることを目的とするルールを定めている。

そして、DEPAは個人情報保護に関する各国の規制に可能な限り互換性を持たせることで企業の負担軽減を目指している。しかも、DEPAは消費者保護を促進するためオンラインでの商取引での損害から消費者を保護するための法規を設定し、かつオンラインでの中小企業間の情報共有を促進する規定を設けている。

また、フィンテックなどの分野でデータを活用したイノベーションを促進するため、期間を限定し一部の規制適用を免除することで新技術などの実証実験を行える制度「データ・レギュラトリー・サンドボックス(規制の砂場)」を設置することが規定されている。

DEPAはFTAのような「章」で構成されておらず(注2)、「モジュール」と呼ばれる総計16の条文のグループから成っており、前半のモジュール第1〜第6の約半数は「CPTPPの第14章電子商取引」や「日米デジタル貿易協定」などを基に策定されているが、後半のモジュール第7〜第16には、既存のデジタル貿易協定には含まれない「新たな分野や概念」が組み込まれている。

インド太平洋地域の新たな経済枠組みを示唆

インド太平洋地域の新たな経済貿易の枠組みの動きであるが、米国のジナ・レモンド商務長官とキャサリン・タイ米国通商代表部(USTR)代表は2021年11月中旬、手分けして別々に日本、シンガポール、マレーシア、韓国、インドなどのアジア諸国を訪れた。

日本とは鉄鋼・アルミ製品への追加関税措置問題から日米通商協力の枠組みの創設について話し合い、各国との一連の会談ではサプライチェーンの安定化、デジタル経済、新型コロナウイルス感染症への対応に至るまで、さまざまな問題を協議した。その中で、両者とも2022年早々にも米国がインド太平洋地域における新たな経済枠組みの交渉を開始することに関して言及した。

米国が提案しようとしている経済枠組みは、シンガポール、ニュージーランド、チリが2020年に合意したDEPAが基になるのではないかと見込まれている。DEPAはニュージーランドとシンガポールでは2021年1月7日に発効したものの、チリでは国会承認に時間を要したため11月23日に発効した。つまり、TPPがチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4か国から成る太平洋横断戦略的経済連携協定(P4)を母体として誕生したことと同様に、米国はインド太平洋地域にDEPAを基にした新たなデジタル経済協定を築き上げようとしている。こうした米国の動きに一早く立ち向かうため、中国は2021年11月1日、DEPAへの正式な加盟申請を行った。

米国のインド太平洋地域における新経済枠組み構想は、中国の一帯一路構想やCPTPPへの加盟申請に対抗するものである。レモンド商務長官は11月18日、訪問先のマレーシアで米国が検討中の新たな経済枠組みはFTAのような構造でなく包括的で柔軟なものになるとの認識を示した。同時に、インド太平洋の経済枠組みの内容はまだ煮詰まっていないが、デジタル経済、サプライチェーン、インフラ、輸出管理、クリーンエネルギーなどのより幅広い分野が含まれる可能性があることを示唆した。

デジタル分野でも米中デカップリングが進むか

米国はインド太平洋地域においてDEPAの拡大版と見込まれる新経済枠組みを推し進めようとしているが、そのDEPAそのものに中国が加盟申請をするという思いがけない事態の発生が問題を複雑にしている。

米国としては、インド太平洋地域での新たな経済枠組みは中国を含まず、同盟国である日本やオーストラリア、カナダ、チリ、マレーシア、ニュージーランド、シンガポールなどのCPTPPメンバーを包含するものとなることが望ましい。そして、中間選挙後に環境が整えば、CPTPPへの復帰の道筋を検討し、更にはCPTPPを新経済枠組みに取り入れるなど、新たな展開が生まれる可能性がある。

一方で中国は、DEPA加盟を実現し、できるだけアジア太平洋地域における中国のデジタル分野におけるプレゼンスを拡大する方向を目指すことになると考えられる。これにより、中国は世界へのデジタル製品の供給力や国内の消費力を背景に、一層のデジタル分野における影響力や競争力の強化を図っていくものと思われる。したがって、インド太平洋地域においては、デジタル分野においても米中間のデカップリングが進展することになると見込まれる。

こうした状況下において、日本には、米中のデジタル分野における覇権争いの攻防を見守るのではなく、国内のデジタル競争力を引き上げながら、CPTPPの発効で見せたリーダーシップをインド太平洋地域におけるデジタル経済協定の策定や実行においても発揮することが望まれる。

日本のデジタル競争力の低迷とデジタル貿易戦略

TPPから米国が離脱した時は日本がリーダーシップを発揮し、米国抜きのCPTPPの発効に漕ぎつけることに成功した。この近年において類い稀な実績の影響は、CPTPPの加盟国拡大への対応やRCEPのさらなる市場アクセスの改善交渉などにおいては健在である。しかしながら、日本のデジタル経済貿易分野におけるプレゼンスは、FTAやモノの生産・貿易で見せる存在感と比べると大きく見劣りする。

日本のデジタル分野での存在感の低さは、今後の世界のデジタル社会の進展を踏まえると、インド太平洋地域のデジタル貿易や経済安全保障において影響力を行使する上で致命的な弱点に繋がりかねない。インド太平洋地域の新たな経済枠組みにおける米中間の新たな対立を前にして、日本はデジタル競争力を背景にした調整やリーダーシップを発揮するチャンスを生かし難いのが現状である。こうした状況を生んでいる根本的な要因は、主要国と比べた時の日本のデジタル競争力の相対的な低さであり、グーグルやアマゾンのようなGAFAと呼ばれる世界的なデジタル関連企業の少なさである。

スイスに本拠地を置く国際経営開発研究所(以下、IMD)は2017年から「デジタル競争力ランキング」を公表している。2019年のデジタル競争力ランキングによれば、最も高いデジタル競争力を有する国は米国、シンガポール、スウェーデン、デンマーク、スイスの順番で、日本は63か国中23位であった。これが2021年には1位は米国と変わらないが、2位に香港、次にスウェーデン、デンマーク、シンガポールと続き、日本の順位は64か国中28位に低下した。日本の技術力が低下傾向にあり、企業の俊敏性は最下位となっていることなどが、デジタル競争力のランキングで低い順番に甘んじる原因になっている。

IMDのデジタル競争力ランキングでは、日本は米欧だけでなく、アジアのライバルにも水をあけられている。2021年のランキングでは、台湾は8位、韓国は12位、中国は15位であった。なぜこのような結果になったのかを探ることは、日本のインド太平洋地域の新経済枠組みへの対応、コロナ後のデジタル経済へのシフトやグローバル競争力の向上を図る上で極めて重要と思われる。

日本のデジタル化を阻害する要因

2021年において日本がIMDのデジタル競争力を低下させている要因(順位が低い分野)として、国際性(管理職の外国での業務経験)の不足(64位の最下位)、デジタル技術力(62位)や教育への公共支出のGDP比の低さ(57位)、外国人技術者数 (49位)や女性研究者数(55位)が少ないこと、が挙げられる。

さらに、事業開始手続きに関する規制の煩雑さ(44位)、電気通信投資のGDP比の低さ(53位)、銀行・金融サービスの効率的なサポートが行われていないこと(36位)を列挙することができる。

また、グローバル化(46位)の遅れ、機会や脅威への素早い対応ができない(62位)、企業の敏捷性(64位)やビッグデータの分析・応用(63位)及びサイバーセキュリティ(44位)に問題があること、などの要因がデジタル競争力を低下させている。

改善しなければ何が起きるか

日本のデジタル競争力を低下させている要因の中で、日本企業が機会や脅威への対応や敏捷性に欠けるという問題は、新規事業への転換・決定が遅れることを意味している。それは、トヨタ自動車が豊田自動織機製作所から分離独立(1937年)するという大いなる決断やサクセスストーリーが生まれ難いし、スマートフォンのようなこれまでになかった製品の開発が進展しないことを示唆している。

また、ベンチャービジネスへの支援も含めて、銀行・金融サービスの効率的支援に問題があることにより、デジタル経済に対応する新規企業が出現し難くなっている可能性がある。

そして、日本企業は国際性(海外経験の少なさ)やビッグデータの分析・応用、あるいは外国人技術者や女性研究者・管理職の登用で問題を抱えている。このため、効率的な経営を目指すべく、日本の伝統的な企業文化である終身雇用制度の今後のあるべき姿を検討せざるを得ないし、雇用形態などの改革を積極的に推進しなければならない。

したがって、早急にこうした日本のデジタル競争力を阻害する要因の改善に着手しなければ、中国のデジタル関連財の生産・貿易における圧倒的な優位性を崩すことは困難になるし、米国が進めようとしているインド太平洋地域の経済枠組みにおいて主導的な役割を果たすことも難しくなると思われる。

(注1)「2021年版ジェトロ世界貿易投資報告」日本貿易振興機構 第Ⅳ章 デジタル貿易・ルール
https://www.jetro.go.jp/ext_images/world/gtir/2021/no4.pdf

(注2) 岩田伸人「米国のアジア太平洋デジタル経済協定構想を考える」国際貿易投資研究所(ITI)、フラッシュ499、2021年11月30日 http://www.iti.or.jp/flash499.htm

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