一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2004/01/13 No.55テキサス州ジャップ通りからみる日本

佐々木高成
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

国連で北朝鮮が日本をジャップと呼んだのは記憶に新しいが、 米国にある「ジャップ通り」の名称を変えるよう日系人が訴えていることを一ヶ月ほど前日本の新聞も伝えていたことを覚えておられるだろうか。 この話は私が昔住んだことのあるテキサス州ヒューストン近郊の地名に係わっている。「ジャップ通り」はヒューストン近郊のジェファーソン郡にあるJap Roadあるいはオレンジ郡のJap Laneを指しているが、当地に駐在中から、ヒューストン近郊にはKobayashi RoadとかMykawa Roadとかいう地名があることを知り不思議な感じを持っていた。こうした日本的な地名はおよそ100年ほど前、ヒューストン近郊に移民してきた日本人に由来する。

そもそも当地に日本人が移民を始めたのは西原清東(さいばら  せいとう)の力によるところが大きい。西原は1861年土佐の武士の家に生まれ、自由民権運動に身を投じたが、その後1898年衆議院議員に当選。1900年には同志社大学の第4代総長に就任している。 ところが、なぜかそれまで日本で築いた地位と名声を捨て渡米、1903年にはヒューストンの南の郊外に米農場を開いた。西原は渡米当初コネチカット州で神学を学んでいたが、それがどうしてテキサスに来たのか。当時ヒューストンとガルベストンを結ぶ鉄道沿線の開発を計画していた米国の実業家が肥沃な沿線の土地を米作に利用できないかと考え、これを知った西原がこの計画に乗った、あるいは賭けたという説がある。 西原は土佐の人々をテキサスに呼びこんで農場を経営、大きな成功を収めた。西原が持ち込んだ日本米は米国の在来種に比べはるかに単位当たり収量が多く、その種籾が普及してテキサス米作の礎になったとテキサス大学が発行する「テキサス・ハンドブック」にも紹介されている。農場の跡地は今のNASAジョンソン・スペースセンターとなって、今ではここに日系人の農場があったことを知る人は少ない。近くに西原農場があったことを示すプレートが僅かに残っているのみなのが日本人にはうら寂しい。

ヒューストン・クロニクル紙の「テキサスの偉人達」に紹介されている西原清東

しかし、この地はやはり米(コメ)とは切っても切れない関係にあり、今でも米国の米作の中心地の一角を占めている。かつて一世を風靡したオクシデンタル石油のハマー会長が毛沢東と会って入手したと言われるハイブリッド米の研究所を置いたのがこの地なのも歴史の因縁を感じさせる。さらには、ヒューストンに本部を置いていたコメの業界団体のひとつRice Councilが1980年代、日本のコメ市場開放を求めて強力な圧力をかけたことを思い出させる。 そういえば西原自身は後に台湾でのたまねぎ栽培と日本への輸入を計画したと言われる。今日でいう開発輸入のパイオニアであり、100年前の人のグローバルな視野に驚かされる。

話を元に戻すと、こうしてテキサスに渡ってきた日本人移民で米や野菜、果物の栽培に文字通り命をかけた人たちが先ほどの地名にでてくるKobayashiとかMaekawa(Mykawaと英語風に変わっている)である。だからヒューストン近郊の日本的な地名はテキサスにおける栄光ある日系移民の歴史を示している。

ところで、ジャップロードという地名は論議を呼んできたところで、 最近ではついに全米日系市民協会や人権団体が地名の改称を求めて訴えをおこす事態に発展している。これに対して地元でも、この運動に賛同する人、行き過ぎた差別是正運動だという人、もともと古くから入植してきた日系人自身もジャップとよばれることに抵抗はなかった、という人など様々な意見がある。多民族国家である米国では民族的蔑称を巡る問題はしばしば起こり、深刻な問題ともなりうる。最近でもフロリダ州でアフリカ系米国人の蔑称が付いた地名を変更する法案が州議会に提出されているという。そもそもジャップなる言葉の起源は何だろうか。 S.B.フレクスナー著「アメリカ英語事典」によればジャップという言葉は米国では日本人を蔑視する言葉として1902年から登場していると説明されている。ジャップという言葉が第二次大戦のはるか以前から使われたとしても、それが日本人(Japanese)という立派な英語があるのにも係わらず、地名として使われたことにはやはり差別的な意図があったのではないかとの疑念を払えない。

そうした差別云々の議論を置いたとしても、日系人の歴史や彼らが発揮したパイオニア精神を尊重するという観点からいって、欧米人のように個人の名前をつけるのが望ましいのは言うまでもない。 米国人以上の起業家精神をもってこの地に多額の投資を行い、テキサスの歴史に名を残した人たちがいるのであるから、この人たちをジャップという言葉で括ってしまうのは惜しい。 因みに、日本人の蔑称をインターネットで検索すると、ジャップのほかにBombWatcher(原爆を落とされたことから)、 Harbor Bomber(真珠湾攻撃から)、Kotonk(米本土出身の日系人を指す)、Nip(ニッポンから)、Tojo(東条英機から)、Viceroy(スターウオーズ・エピソードIに出てくるキャラクターから)、等が出てくる。意外に少ない?ことに驚かされる。

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