一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

Menu

フラッシュ

2006/08/25 No.86スイスのEU加盟問題の行方〜二国間関係重視へ軸足を移す

田中信世
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

スイス上院(連邦参議院)は去る6月28日、EUとの関係の基本的なスタンスをとりまとめた「欧州報告書2006」を承認した。この報告書はスイス上院が2005年10月に、スイス・EU関係の議論のベースにするとともに、対EU政策の具体化に貢献することを目的として、政府に取りまとめを要請していたものである。直接民主制(国民提案制度と国民投票制度がスイスの直接民主制の2本柱)、連邦主義、中立政策、労働市場、財政、税制、インフラ政策、経済政策全般など約20の基本的な分野について政策効果等を分析した内容となっている。

スイスのEU加盟問題との関連で、同報告書が注目される点は、「議論の出発点は制度的なEU加盟問題ではなくて、スイスの国益を最大限実現することを目標とし設定すべき」としていることであり、そのうえで、中・長期的な優先事項として次の点を挙げていることである。

  1. 既存のEUとの二国間協定をできるだけ効率的に実行する。必要な場合は、状況に応じて二国間協定の修正や新規締結を行う。
  2. 意味があり、実行可能に見える場合は、EUとの契約関係を深化させる。
  3. 欧州における経済的、社会的な不均衡の解消に貢献する。

スイスを取りまく欧州諸国がすべてEU加盟国となり、スイスが地政学的にEUという海の中に浮かぶ島のような存在となる中で、永世中立を国是とするスイスは、これまで中立政策と矛盾しない形でのEUとのかかわりを模索してきた。

これまでのスイスとEUの関係における主な動きは次のとおりであるが、スイスにおいては過去何度かEU加盟への機運の高まりが見られた(1992年のEC加盟申請、欧州経済地域への参加の動き、2001年の早期EU加盟交渉開始要求など)。しかしこうしたEU加盟の機運の高まりは、2度(1992年と2001年)とも国民投票によって否決され、近い将来のスイスのEU加盟は凍結状態に置かれているのが現状である。

スイス下院(国民議会)は国民投票での否決後の2004年に、スイスのEU加盟申請の立場は維持されるとの決議を行っているが、上記の「欧州報告書2006」は、下院の決議にもかかわらずスイスのEU加盟が困難であるという状況を踏まえ、EUとの二国間関係の重視・深化に軸足を移した内容になったものと思われる。

  • 1960年、EFTA(欧州自由貿易連合)に加盟。
  • 1973年、EC(欧州共同体)と自由貿易協定締結。
  • 1992年5月、ECに加盟申請提出。
  • 1992年12月、国民投票でEEA(ECとEFTA間で創設した欧州経済地域)協定批准を否決(これによりスイスのEUへの加盟、加盟申請は棚上げ)。
  • 1999年6月、EUと第一次二国間協定を締結(人の自由移動、政府調達、陸上・航空輸送、農産品市場へのアクセス、研究、工業製品の適合性評価に関する相互承認等7分野)(2002年6月発効)。
  • 2001年、EU加盟への早期交渉開始の是非を問う国民投票で、反対多数で交渉開始を否決。
  • 2004年6月、EUと第二次二国間協定を締結(預金に対する課税、人の自由移動を定めたシェンゲン協定への参加、犯罪に対する司法協力、加工農産品貿易、欧州環境機関参加、統計協力、教育・青少年問題・研修の分野での将来のプログラムへの参加準備等の9分野)。
  • 2005年9月、EU新規加盟10カ国から流入する労働者の就労と居住を認める協定を可決。

ところで、2006年7月4日付のドイツ経済紙ハンデルスブラットは、今年の9月にEUからスイスのベルンに初めてEU大使が派遣されることになったと報じている。同紙は、前述のスイス上院による「欧州報告書2006」の承認に加え、EUがスイスへの大使派遣に踏み切ったことは、スイス・EU関係が新たな段階に入ったことを意味し、「スイスにとってEU加盟はもはやかってのような“戦略的な目標”ではなくなり、いろいろな選択肢の中のひとつのオプションにすぎなくなった」と分析している。

EU加盟に国民の反対が強い背景には、加盟に伴う費用負担が大きいことも大きな要因になっているものと見られる。同紙によれば、EUに加盟した場合には、スイスが加盟国の中で豊かな国に属することになることから、加盟によって得られる利益よりもより多くの費用負担を迫れるとし、年間にネットで21億ユーロの負担が見込まれるとしている。これに対して、二国間協定の関係の場合は例えばEUの研究プログラムへの参加といった個別案件ごとの支出が3億6,000万ユーロで済むと試算している。

こうしたことから、スイスとEUの関係は今後、二国間協定をベースとしたものに傾斜することになると見られているが、両者の関係が二国間協定を中心に進むことになるにせよ、解決を迫られている問題もいくつかある。

例えば、スイスのいくつかの州(カントン)においては特別に低率の企業税が適用されており、これはスイス・EUの二国間協定に反するとしてEUが批判している問題がある。スイス側ではこの点に関し、州(カントン)の課税権に対し連邦政府は影響力を行使できないとして、スイスの連邦主義における地方権限の強さを盾にEUのアキコミュノテール(EUの法体系の総称)のように一律の制度を適用することは困難との立場をとっている。

また、スイスの銀行がとっている厳密な守秘義務とスイスの銀行の守秘義務を利用したEUからスイスへの課税逃れの資金逃避も、スイスとEUの間に横たわる古くて新しい問題である。

そのほか、当面大きな問題になりそうなのが、EUがスイスに求めている「結束基金」への資金の拠出である。これは、2004年5月のEU拡大によってスイスの輸出企業が市場拡大のメリットを受けることになることから、交渉中の二国間協定で、EU内の低開発地域の経済発展を支援する構造基金などの「結束基金」への資金拠出をEUから求められているもので、スイスでは「結束ミリアルデン(「結束の10億」“Kohaesionsmilliarden”)とよばれている。この結束基金への資金拠出には、右派の国民党が猛反対しており、支払いの是非について国民投票の実施を呼びかけている。国民投票で支払い反対が多数という結果が出た場合、支払いを前提として二国間協定の交渉を進めている政府には大きな打撃となるものとみられている。

関連資料

フラッシュ一覧に戻る